JAL(日本航空)の鳥取三津子社長。
彼女は、客室乗務員(CA)からスタートした経歴を持ち、JALの創業以来、初の女性社長に就任することでも話題です。
この記事では、鳥取三津子さんの学歴や経歴、そして女性初のトップに登り詰めた彼女の意外な背景について簡単に紹介します。
鳥取三津子のプロフィールと学歴
まずは、鳥取三津子さんの基本プロフィールと学歴について見ていきましょう。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 鳥取 三津子(とっとり みつこ) |
生年月日 | 1964年12月31日(2024年時点で59歳) |
出身地 | 福岡県久留米市 |
出身高校 | 福岡県立伝習館高等学校 |
出身大学 | 活水女子短期大学 英文科 |
福岡県立伝習館高等学校
鳥取三津子さんの出身高校である「福岡県立伝習館高等学校」は、福岡県内でも有名な進学校です。
この高校の偏差値は約64と高く、難関大学への進学者も多いことで知られています。
伝習館高校では勉強に励みつつ、当時から高い目標を持っていたとされています。
活水女子短期大学 英文科
高校卒業後、鳥取さんは長崎県の「活水女子短期大学」英文科に進学しました。
この短期大学は2005年に閉校しましたが、在学当時は語学や国際文化を学ぶ学生に人気の高い学校でした。
鳥取さんが短大を選んだ背景には「早く社会に出て活躍したい」という思いがあったといいます。
短大時代にはバレーボール部に所属し、部活動と学業の両立に取り組みました。
毎日が厳しい練習と授業の連続で、遊ぶ時間も少なかったそうですが、この経験が後の仕事への意欲や自己管理能力を養うきっかけになったと語っています。
鳥取三津子の経歴 CAからJAL初の女性社長へ
短期大学を卒業後、1985年に東亜国内航空(TDA、後の日本エアシステム JAS)に客室乗務員として入社した鳥取三津子さん。
当初、彼女はCA職ではなく、他業界を志望していたものの、CA職に就く機会を得たことが彼女の運命を大きく変えることになりました。
1990年代にかけて、CAとして活躍し、周囲からの信頼を得るとともに、次第に管理職への道を歩み始めます。
東亜国内航空からJALへの統合と昇進
1996年には、当時の東亜国内航空が日本エアシステム(JAS)に名称を変更し、2004年にJALと経営統合が行われました。
鳥取さんは統合後も現場での経験を積み、管理職に昇進。
特に、徹底した安全意識と顧客対応の徹底で知られ、数々の重要ポジションを歴任しました。
主な経歴
年月 | 役職・経歴 |
---|---|
1985年4月 | 東亜国内航空にCAとして入社 |
2005年10月 | JAL 客室本部客室乗員部第1乗務室 客室マネジャー |
2013年5月 | 安全推進本部 統括マネジャー |
2015年5月 | 成田第1客室乗員部 第2客室乗員室 室長 |
2016年5月 | 成田第2客室乗員部 部長 |
2019年4月 | 客室安全推進部 部長 |
2020年4月 | 執行役員 客室本部長 |
2022年4月 | 常務執行役員 客室本部長 |
2023年4月 | 専務執行役員 カスタマー・エクスペリエンス本部長、ブランドコミュニケーション担当 |
2023年6月 | 代表取締役専務執行役員 カスタマー・エクスペリエンス本部長、グループCCO(最高顧客責任者) |
2024年4月 | JAL 代表取締役社長就任 |
鳥取三津子が女性初のJAL社長に選ばれた理由
鳥取さんがJAL社長に選ばれた背景には、これまでの経験や人柄、そしてリーダーシップが挙げられます。
豊富な現場経験と安全推進への取り組み
鳥取さんは30年以上にわたり、客室乗務員や管理職として現場での経験を重ねてきました。
2019年に「客室安全推進部」の部長を務め、2020年には執行役員客室本部長に就任しています。
この役職での経験が、JAL社内で安全運航の維持と品質向上に貢献する基盤となりました。
カスタマー・エクスペリエンス向上へのリーダーシップ
2023年にはカスタマー・エクスペリエンス本部長に就任し、顧客体験の向上に向けた取り組みを指揮。
JALの顧客満足度向上に貢献し、社内外での評価を高めました。
デジタル化や新たな顧客ニーズに応える姿勢が、JALの次代を担う社長にふさわしいとされた理由の一つです。
女性リーダーとしての多様性推進
JAL初の女性社長である鳥取さんは、JALにおける女性管理職の割合を引き上げる取り組みも進めています。
社内でのジェンダー平等や多様性の推進を掲げ、後進の女性社員にも活躍の場を提供するリーダーシップが評価されてきました。
鳥取三津子の人柄と信念
鳥取さんはCA時代から「みっちゃん」の愛称で親しまれ、後輩から慕われてきた存在です。
地元の関係者によれば、CA時代も忙しい合間を縫ってグルメやスポーツを楽しむなど、充実したプライベートを過ごしていたといいます。
また、乗務中も乗客に対する心配りを忘れず、安心と笑顔を提供することに全力を尽くしてきました。
また、インタビューでは「男性だから、女性だからという理由ではなく、自分らしく仕事に取り組みたい」と語っており、性別にこだわらず実力を発揮してきた姿勢がうかがえます。
横浜市内で行われた「ととのうとっとりサウナ旅」PRイベントでの平井伸治鳥取県知事との対談では、ユーモアを交えたカミングアウトを連発し、会場を和やかな雰囲気に包みました。
鳥取という姓でありながら「鳥取県に行ったことがない」と打ち明け、「鳥取を名乗る権利がない」と冗談めかして語る姿は、堅苦しさを感じさせず親しみやすい一面を見せています。
さらに、鳥取県の平井知事からの再就航を期待する声に対しても、鳥取社長は真摯に応じ、「素晴らしい空港が2つもあるので、JALの翼が再び鳥取県内で見られたら嬉しい」と前向きな姿勢を示しました。
こうした発言からは、地方とのつながりを大切にし、地域活性化にも関心を寄せる姿勢がうかがえます。
イベントでは、鳥取名物を使った料理を楽しむなど、地元の文化に対する好奇心とオープンな態度も見せ、鳥取三津子社長の温かく、柔軟で親しみやすい人柄が伝わってくる場面が多くありました。
まとめ
鳥取三津子さんの学歴と経歴からは、華やかなイメージのCA職から、地道に努力を積み重ね、歴史的な社長就任に至った過程が見えてきます。
短大卒業から始まった彼女のキャリアは、現場での努力とリーダーシップによって支えられており、これからのJALにも新たな変革をもたらすことが期待されています。
JAL初の女性社長として、鳥取三津子さんがこれからどのようなリーダーシップを発揮し、JALをどのように成長させていくのか、今後も注目が集まります。
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